『――案の定、だな。予備知識無しで出向いた故、早々に帰ってくるだろうとは思っていたが』

 『城』の門前で待ち受けていた彼は、開口一番にそう言った。
 その言葉に、わたしは微かに眉を寄せる。意味がわからない。
 ……『役目』の事だろうか?
 しかし、現にわたしはフランスにいた『魔王』を処断している。

 ――『魔王』の処断、それがわたしが役目。

 なんの事かと問うと、彼は意味ありげに口元を歪める。

『それは知っている。私が言いたいのは、お前の本来の滅ぼすはずだった相手についてだ』

 その言に、眉をひそめた。
 今回の討伐対象は、フランスの辺境を根城としていた『魔王』のはずだ。
 一体、彼は何を言いたいのか。

『……なるほど。記憶の改竄後、別の対象を指定した事でほころびを無くしたか。幾らか催眠に長ける程度でそれを傲る愚か者がと思っていたが、やるべき事は心得ているらしい』

 意味のわからぬ呟き。
 わたしには、誰の事を言っているのかもわからない。
 どうやら、彼の知っている相手ではあるようだが……。

『――さて、と』

 と、不意に彼がこちらへと歩み寄った。
 近付きながら、彼は続ける。

『私としては放っておいた所で困りはしないが、事情を知る者として、お前を放っておくのも問題故な。……何より、お前をも退けたとアレがいい気になるのは少々気にくわん』

 わたしの手前まで来たところで、彼は右手を上げ、何かを摘むように指を合わせる。

『なに、いくら高度であろうが、奴の術は所詮は催眠の域を出るものではない。今、解いてやろう――』

 彼はその指先をわたしの眼前へと持っていき、無造作に指を鳴らす。
 小気味よい音と共に、脳裏に閃く光。
 そして、わたしは全てを思い出した――。









 『月翁来たりて』 間話









『――断る。何故、お前のために私が骨を折らねばならん』

 彼は、一瞬の間も置かずそう応じた。
 わたしの頼みに対し、小馬鹿にせんばかりなその眼差し。
 それが、改めて彼との関係を自覚させる。
 この『城』に存在、もとい出入りする者達の中で、彼――キシュア=ゼルレッチ=シュバインオーグという死徒はただ一人、わたしの意にならぬ存在だった。
 『城』に住まず、定期的に訪れるのみの何者かの死徒。
 わたしにわかっている事は二つだけ。
 ゼルレッチは、『城』に住む真祖達の死徒ではないということ。
 そして、『城』の真祖達全てが、彼を畏怖(おそ)れているということ――。

 ――自分の守護、それが彼の役目らしい。

 わたしが『造り出された』折、よくわからぬ縁から真祖達に請われた役目。
 このゼルレッチという男は何故かそれを受け、わたしが目を覚ますと必ずこうして現れる。
 その割に、彼が協力してくれた事など一度としてないのだが……それは別に構わない。
 元より、わたしは何かに守ってもらう必要などないのだから。

 ――だが、今回は違う。

 思い出した記憶、それは役目を果たせなかったという記憶。
 アインナッシュ――『世界の記憶』にしかその存在を知るものはなかった謎の死徒。
 わたしは『世界の記憶』を汲み上げていた際に偶然その存在を知り、真祖に敵対する者として処断しに向かったのだ。
 しかし、現実にはわたしは奴の術中に陥り、奴が改竄した記憶のままにに別の『魔王』を処断し、己の役目を遂げたと『思い込んで』戻ってきた。
 もし、ゼルレッチが記憶を修復してくれなかったら、わたしはアインナッシュの名を再び知る事すら叶わなかったかも知れない。
 ところが、彼はこれ以上関わるはご免だと言う。
 ……わからないではない。
 この男は今までわたしに協力した事など無かったのだから、今回に限って協力してくれると考える方がおかしい。
 しかし、ならば何故こんな真似をしたのか。
 少なくとも、わたしにはアインナッシュの術を破る術が無いという事は、何かがあったという記憶すら改竄されて戻ってきたという事実が証明している。
 役目は果たさねばならない。
 しかし、わたしだけでは果たす事が出来ない。

 ――力尽くで協力させるか?

 そんな考えが脳裏によぎる。
 しかし、それはできない。
 ……その選択は、わたしの死すら招きかねない。
 ゼルレッチという死徒は、何もしない。そして、誰かに危害を加える事もない。……己の意に逆らいさえしなければ。
 意に逆らったその時――その誰かは、彼にとって『敵』となる。
 だからこそ、真祖達は彼を畏怖れている――。

『――では、私は行く。……言っておくが、再び考えもなく奴の元へ向かうのはやめておけ。二度、同じ事をやるつもりはない』

 言いざま、ゼルレッチは歩き出し、わたしの横を通り過ぎた。
 何も言えない。止める事も出来ない。
 ただ視線でその姿を追い、その背を見つめる。彼は、ゆっくりと歩いていく。

 ――と、不意にその足が止まった。

 わたしが何事かと思う間もなく、彼は告げる。

『――オーストリヤのヨハン=プレベインという男を訪ねろ。魔術師としては決して賢明と言えない男だが、出来の方は弟子の中でも悪くなかった。……私の紹介だと言えば、アレも嫌とは言うまい』

 一瞬、何を言っているのかわからなかった。
 しばしの間を置いて、気付く。……つまり、教えてくれたのか。奴の術に抗する術を心得ている者を。
 わたしはその真意が読めず眉をひそめた。
 ゼルレッチという男はわたしの役目には徹底して無関心だ。現に、先程の依頼も間すら置かずに断っている。
 なのに、何故帰り際になって、そんな事を告げる気になったのか。

『そうさ、な……』

 問うたわたしに、ゼルレッチは視線を外し顎に手をやる。
 そして、彼は視線を戻すと口元に軽く歪めた。

『……『今の』お前には、言った所でわかるまいよ――』

 その苦笑めいた、妙な表情。

 ――ふと、内に妙なものを覚えた。

 この男の不可思議な行為、思考に対する疑問。それが一番近い。しかし、どこか違う。
 むしろ、行為や思考は関係ないような――。



「――は、あ……」

 そこで、わたしは回想を打ち切った。
 ゼルじいの来訪から二日目。わたしは、その時間の大半をベットの上で物思いにふけっていた。

「ゼルレッチ、か」

 彼の名を呟いてみる。
 物思いの中、引っ張り出した古い『記憶』。
 幾度と無く『記録』を洗い流してきた中、残されていた『記憶』の一つ。
 ……あの後、ロアの事があり、失った力を取り戻すため、この八百年の間眠って起きてを繰り返し、彼だけを追い続けた。
 だから、いつの間にかその時覚えた気持ちも忘れていた。

 ――でも、今ならなんとなくわかる。

 あの時、わたしは初めて他者に対して興味を覚えたのだ。
 それは、志貴の時のように鮮烈ではなかったため、あの時は気付かなかったけれど……。
 『魔道元帥』――キシュア=ゼルレッチ=シュバインオーグ。
 わたしの保護者にして後見人の立場にある、死徒二十七祖が一角。
 世界に四人しかいない『魔法使い』の一人。
 そして、わたしの全てを知る、数少ない存在――。

「……考えてみれば、本当に久しぶりなんだよね。ゼルじいって呼んだの」

 ふと、気付く。
 ……そう。少なくともあの頃は、彼を『ゼルじい』と呼んではいなかった。
 あの頃の彼は、わたしにとって不可解な死徒でしかなく、その呼び方も『ゼルレッチ』でしかなかった。
 変わったのが何時だったかは覚えている。
 それは、先日の手紙で彼にどう語りかけようかと悩んでいたあの時から。でも、何故この呼び方を選んだのかは自分でもよくわからなかったりする。
 『ゼルじい』なんて呼び方をしていたのは、ずっとずっと前の時だけだ。生まれて間もない、この身体も小さくて、何もわからなかった頃の時だけ――。

 ――辺りは、見渡す限りの花の海。月が世界を照らす中で、小さかったわたしを見下ろす彼の姿。

 その時、何を言われたかも覚えていない。色褪せ、擦り切れて久しいその『記憶』。
 それでも、幾度と無く『記録』を洗い流してきた中で、今でも残ってるわたしの『記憶』……。
 ……今更にして思う。あの頃の彼は、わたしにとってなんだったのかと。

「ん……」

 そこで、わたしは枕から埋めていた顔を起こした。
 外は、もう昼近くになっている。
 ずっとマンションに籠もっていたため、昨日は志貴と顔を合わせていない。
 志貴には会いたかったが、屋敷の方にはゼルじいがいると思うと、どうにも出向く気にはなれなかった。

「…………」

 ゼルじいの唐突な来訪。それは、一昨日からずっとわたしの心の中でくすぶり続けている。
 ……彼は、何のためにここへと来たのだろうか?
 昨日言っていた事も、理由の一つではあるだろう。でも、わたしにはどうしてもそれだけとは思えなかった。
 
 ――何しろ、わたしはもう一年近くも『城』を開けているのだ。

 くるり、と身を回転させて仰向けになる。

「……決めた」

 言いざま、無理矢理に身体を起こす。
 直接会って、ゼルじいからその真意を確かめる――それしかない。
 それがわたしや志貴にとって、あまり好ましくない事態を招くとしても。

「このままマンションに籠もってたら、ゼルじいがあっちで何をするかわかったものじゃないもんね」

 適当な理由を付けて、考えを巡らせる前にドアへ向かう。
 ゼルじいの真意が仮にわたしの考えた通りだとしても、それを聞くつもりはない。
 ここはもう、わたしの『居場所』なのだから――。







 続く



『後書き』その四(改訂後)
 ども、てぃーげるです。
 『月翁来たりて』の幕間たる間話、いかがだったでしょうか?
 この話、実は四話の冒頭で使用するつもりだったのですが、その割には随分と長い。しかも、本編の方もかなりの大作になる雰囲気がある。これでは、三話を超える長話になる可能性が『大』……という事になったので、幸い冒頭部が独立させても問題ない話だった事もあり、独立させて今回の間話として仕立てたという訳です。
 で、内容ですが、わかる人はわかると思いますが、今回のお話は『歌月十夜』にてアルクェイド本人が語っていた、初代アインナッシュとのエピソードを私めなりに補完・アレンジしたものです。
 初代アインナッシュを処断する際、彼女はレンの元マスターに助力を依頼したらしいんですが、その頃はあくまで『魔王処断用人型兵器』でしかなく、戦闘以外の事柄についてはてんで無知だったであろう彼女が、その辺を思いつき、彼を探し出して依頼するとはどうも思えなかったので。
 やはり、この辺りには『じいや』たるゼルレッチが絡んでいたのでは――と。
 ともあれ、とんだ回り道をしてしまいましたが、次はいよいよ物語が動き出す四話です。これを読んでくださっている皆様、お付き合いお願いしますね。
 では、今回はこの辺りで。


・補足事項:
 『月翁』本編は元より、このエピソード・アインナッシュの設定は、月姫ファンサイト『月姫研究室』のテキストを参考にさせてもらっています。わからない部分は、ここにて情報を拾ってくださいませ。





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