日本国軍需相・三条公人は奔走していた。
彼は彼なりに信念を持って行動しているが、しかしその行動はとんでもなく相手に迷惑をかけることになる。
何をしているのか、と言えば誰もが驚愕するだろう
――――――――真田光にノーベル平和賞を受賞させるべくノルウェーに圧力をかけているのだ。
SHINE外伝 『平和賞受賞者の憂鬱』
TERA本部は女の園であるからして、無論男子禁制である。
唯一の例外が真田光であり、彼はフリー・パスで出入りできる。
これは彼の職務上当然であるが、先日の内閣改造に伴いもう一つ例外ができた。
それが入閣を果たした三条公人の出入りである。
軍需、という物々しい名の省庁は彼の為に新設された。
正確に言えば、彼におっかぶせる任務を纏めて、だ。
その権限は物騒極まりない。
本来、内閣府に直属であるはずの防衛庁と国家公安委員会を吸収し、
さらに国土交通省及び財務省、外務省の権限の一部を割譲されている。
大臣がその気になればクーデターを成し遂げかねない。
戦争遂行の為、最も効率的に活動する行政機構、それが軍需省であった。
無論、戦争の相手は人間ではない。ガイストである。
戦場整理をする自衛隊。
避難誘導及び避難に乗じた犯罪を取り締まる警察。
TERAに供出する予算とその管理。
さらにTERAが必要とする施設の考査と建設。
諸外国とのTERAへの供出金の分割割合及び協調の調整。
これらを全て統括するのが軍需省だ。
このような省庁を新設するなど、本来ならば利権が絡む各省庁から言語道断との反論が100グロス程寄せられるだろう。
が、新大臣には奇妙な二つ名が囁かれ、誰も異論を差し挟まなかった。
曰く、『TERA暴走始末総責任者』
以前の、疚しいところある政治家や官僚が聞いただけで震え上がった『組織破壊者』に比べると、
随分とネガティヴではあるが、その破壊力は変わらない。
榊月明美が。
「あの」榊月明美が一度だけ積極的に推した男。
故に腫れ物に触れる事を恐れてきた日本の政治家はこれ幸いとばかりに彼にその役職を与えたのであった。
押し付けた、と言ってもいい。
さらに、軍需省の事務次官と審議官に敏腕を持って知られた岡野夫婦が揃って就任するに至って反対の声はかき消えた。
公人の両親である。
公人は、おそらく幸福な子供だったろう。
両親に溺愛されて育った。
産まれる前から愛されていた。
彼の両親は夫婦共に官僚である。
父は国土交通省事務次官(旧建設省出身)、母は文部科学省研究開発局長(旧科学技術省出身)にまで登っていた。
彼らは恋愛結婚で、子供を待望していたから公人は生まれた時点で既に人生の勝ち組たる準備が為されていた。
両親は実に慎重で、公人の能力別に裕福な将来を用意していた。
もし、そう頭がよくない場合。
父親の大学の同級生の中でも落ちこぼれの方に属する、
地方公立大学の学長の退職後の天下り先と交換にその大学における講師の椅子が公人の為に用意される。
20年もすれば教授になれるし、
週休は4日、公務員としての十分な給料、さらに両親の遺産で地位と名誉に囲まれ十分人生を満喫できるだろう。
それなりだった場合。
両親は公人を皇族や旧華族が通うエレベーター制の学校の幼稚舎に入れ、
宮内庁の知り合いを通じて同級生である皇族の学友にしておいたから、コネは十分形成できた。
これによって外務省に入った場合、皇族を自分の担当の国に呼びやすくなる。
即ち、皇族外交が行われる国の大使館では大いに重宝がられるのだ。
あとは国家公務員試験第U種を通過できれば、外務省の課長代理までの就任は固い。
ノンキャリではあるが、両親はどちらかが外務省に出向し彼の地位を引き上げるという荒技で大使にする気だった。
適当な絶対王政の石油産出国の大使になれば貴族として遇せられ、贅沢三昧の日々が過ごせるだろう。
しかし、公人はどちらの道も通らず、エレベーターを途中で降りて両親の母校東大に入学、卒業しキャリアになってしまった。
ならば、と両親は彼に期待した。
二人が二人ともなれなかった、大蔵(現・財務省)官僚にして政治家を我ら一家で捻じ伏せる。
公人が「組織破壊者」を気取っていられたのも、両親の後押しあってのおかげである。
彼は自分がどんな事をしても首にならないのを知っていたのだ。
あとは、どのようなタイミングで華々しく頭角を現すかを考えていればよかった。
故に、大衆迎合を背景に生まれた首相に自分の功績を説明し、便乗できた。
そして、今回の大臣就任である。
両親は猛烈に喜び、「親孝行な息子だ」を連発した。
息子が自分の管轄省の事務次官及び審議官就任を依頼すると二つ返事で異動して来たのだった。
彼自身は薄笑いを浮かべつつ総理に次ぐ大臣の椅子に座った。
全てを知った上で、
明美のそれは気まぐれであると確信した上で、
彼は自分のバックに明美がいると思い込んでいるであろう老政治家達の入閣要請を受けたのだ。
あの日の事を思い出す。
私室に置いた数十万相当のデザイナーズ・チェアに寝そべりながら公人は回想に浸っていた。
部屋の照明はやや暗めに抑えられており、傍らのブランデーボトルは中身が3分の1程減っていた。
(急いで。 緊急総会での貴方の功績を使って貴方を閣僚に推薦するから)
あの時の彼女の目は本気だった。
だが、それ以降はどうか。
その場の勢い、という奴がある。そう彼の怜悧な頭脳は判断する。
彼女は自分を信頼しても期待してもいないだろう。
ただ、一瞬だけ。
彼女のクライマー達への思いやりが彼女の本当の顔を覗かせたのであって、
あれで自分が彼女と仲間になったなどと考えるのは不遜の極みだ。
わかっている。
では、自分は自分にできる事をするのだ。
例えば後始末。
超法規的組織とはいえど被害が出れば住民から苦情も出よう。予算が潤沢といえど限りはあろう。
TERAの立場を財務官僚であった経験から自分に置き換え何が足りないか、何が必要か、何をして欲しいか予想し、
ひたすらに実行する。
他にも、先日の横領事件の捜査を財務省の旧同僚や後輩を叱咤激励し推し進め、
軍隊にしかできない戦場整理を指揮し、
膨大な資料から昔取った杵柄で予算の使い込みや横領を摘発する。
そんな激務の中で、妙案が浮かんだのである。
日本国民は権威に弱く、名誉を重んじる民族性を持つ。
特に海外のそれには実に敏感で、若年層はともかく苦情を言ってくるような年配の者達は少しは遠慮する事が予測される。
では、何が最も効率的か―――――――――
真田光にノーベル平和賞を受賞させる。
そんな立派な仕事をしている、という事がわかれば恐れ多い相手だと思うだろう。
気軽に文句など言ってこなくなるし、公人もTERAに否定的なマスコミに圧力をかけやすくなる。
何より、全てが終わった後に真田光を世界の支配者にするという彼の冗談半分の夢に一つの道筋がつく。
少なくとも光が成人した後、被選挙権を得る25歳にして圧倒的得票率で衆議院入りするのは固い。
その頃には軍需省も解体せねばならないだろうが、
公人自身は与党との内約によってそれまでに行われる選挙で比例代表候補一位として衆議院議員になる事が確定している。
彼の両親はまた元の省庁に戻っているであろうから、
官僚側の要請と自身の経歴によって彼は再び大臣の椅子に座っていられるからしてそれなりの派閥を形成している事は間違いない。
その自らの派閥によって光を与党総裁候補とする。
最初は落ちても構わない。2度目、3度目には必ず総裁にし、首相にする用意がある。
それに、光や明美を上位議員は恐れているから存外あっさりと光を総裁にするかもしれない。
更に明美の無言の圧力を以って周辺諸国を黙らせ、光の戦闘力を以って先進諸国に対抗する。
誰だって自分の身は可愛いものだ。
どんな無能が「翔べてバーティカルウォールが出せて次元を切り裂ける国家元首」を推戴する日本に逆らうと言うのか。
アメリカの軍隊でさえ彼を止められないのだ。自身が彼の気分次第で殺されてもおかしくないし、戦争になれば、余計だ。
とりあえず先進国の首脳には無謀な人間はなれない。
完璧ではないか。
彼がハーレムをつくるのも構わない、自分はそのような狭量な倫理で人を計ったりはしない。
マスコミだって黙らせる自信がある。所詮連中は権力に弱い。
そうとも、三条公人は人類史上初の世界システムを作り上げた君主をプロデュースするのだ。
そこまで彼が思考を巡らせた時、待ち侘びた電話のベル音が部屋に響いた。
翌朝、前回の来訪と同じく公人はヘリの機中にあった。
公人の場合は大臣がTERAの人間と会談という形で入る為、前以っての通達が不可欠である。
で、なくば一国の大臣といえども入れない。本来TERAはそういう組織なのだ。
ヘリから降りて燦々と輝く朝日を眩しそうに手で遮ると、
国家の重鎮はSPの警護と一般クライマーの案内で来客用応対室に入った。
クライマーが以前自分に協力してくれた娘だと気付くと公人は微笑んで感謝の意を伝えた。
しかしながら10分もするといてもたってもいられず、光が私室にいると聞くが早いか少女に居住区への案内を求めた。
SP達は動揺したが、それを尻目に一般クライマーの少女は公人の手を取って光の部屋へ走り出した。
何故、自分が途中からお姫様抱っこされているのかと三条大臣は深く疑問を感じた。
コンコンと控えめではあるが確かなノック音が真田光のプライバシー無き部屋に響いた。
「真田さん、おいででしょうか?」
「うぉ!?」
むしろ普通にドアを開けられ部屋に押し入られるのが日常である光にはノックの後に呼びかけというのは珍しすぎる行動で、
下手な目覚ましなどより有効であるようだ。
ベッドから跳ね起きるようにしてドアに向かった。
「だ、誰……あ」
「お久しぶりです」
初めて彼が目にした「まともなお偉いさん」がにこやかに笑って立っていた。
後ろには恋する瞳の一般クライマーの女の子と息を切らして追いかけてくるSPらしき男達が見えてシュールこの上ない。
あぁ何てイレギュラーな朝。
「お久しぶりです」
と月並みに返事をした所で目の前の男は先日ニュースで大々的に報じられていたのを思い出す。
「……あ、大臣になったんでしたっけ。 おめでとうございます」
「いえいえ、皆さんの協力あってこそです、お言葉もどうぞお気遣いなく」
「あー、どうも……どうしたんすか今日?」
その言葉を待っていたが如く公人のにこやかな笑みが「ニヤリ笑い」に変わり
「実は、真田さんがノーベル平和賞を受賞する事が決まりました。
つきましては12月10日オスロにパートナー同伴でお越し下さい」
爆弾を投げつけられた。
「…………は?」
しかも、光の思考が回復しないうちに第二射が斉射され
「もう高校生なんですから彼女の1人や2人ぐらいおいででしょう?」
「マテや、どこの異世界の常識だそれ」
「いや、私も高校時代はとっかえひっかえ遊んだものです。 自由な時は若さに任せて奔放に生きねば損ですからね」
それが光の精神に対する致命傷となった。
「!?」
公人は胸倉を掴まれた事以上に光の両頬を伝うそれに驚愕した。
血涙。
……はじめて見た、などと感慨にふけっているとかなり高速度で自分はTERA居住区の廊下の空中を疾駆している。
あぁ、突き飛ばされたんだな、と彼が理解した次の瞬間にしたたか壁に叩きつけられた。
死なずに済んだのはインパクトの直前に追いついたクライマーの少女が手を引っ張ってくれたからであろう。
どうやら光は悲しみのあまり公人が視界から消えてしまったらしい。涙で前が見えないとはまさにこの事か。
意識を手放す寸前に、「そんなもんいねぇよドチクショーーーーーーーー」と叫びながら走り去って行く
光の寂しげな背中が目に付き公人は罪悪感に苛まれたまま気絶した。
そしてまた、光も受賞式が全世界に中継されて自分の正体がこれでもかと言わんばかりにバレる事に気付かぬまま、
男子更衣室に引篭もってしまった。
それが、全ての混乱の発端となった。
敢えて、もう一度言おう。
真田光の部屋は個人の私室としてのプライバシーなど皆無だ。
ドアはロックできない。
上科蛍お手製の盗聴機及び監視カメラが四六時中彼を見張っているので怪しい動きは出来ない。
私物なども部屋に辿り着くまでに誰かしらにチェックされてしまう。
普通の人間が置かれれば発狂するであろう環境なのだ。
多くの方法で彼の情報は流出していく。
例えばクローゼットとか。
「パートナー……」
パートナー。
それは互いへの揺ぎ無い信頼を有する一組。
力強く拳を握ると(光の部屋の)クローゼットから貞子よろしく這い出した閃華は、
公人(を介抱すべく背負った少女)を追っていった。
例えば会話とか。
「もう、ダメですよ紅梨さんーー」
「え、な、何がダメなの? 章子ちゃん」
何故か南野紅梨は朝一番に、大臣を背負(しょ)った一般クライマーの少女に苦情を言われた。
「光さんの事ですよ、光さんったらせーっかく海外に女の子とペアで旅行できるっていうのに、
『彼女なんかいないー』なんて。
私、紅梨さんを後輩として応援してるんですからここでドーンと引っ張ってってあげないと!」
「こ、光君と海外旅行!?」
「ええ、オスロでしたっけ、落ち着いたいい都市(まち)ですよー?」
「え、でも、何で? ううん、私はいきたいけど光君が何て言うか……」
「あはは、紅梨さん、いいものがあるんですよ?」
章子と呼ばれた少女は背の上の大臣を指差した。
「光さん、ノーベル平和賞の受賞式に出るんです。
三条さんはそのパートナーを決めて、って言ったんですよ?
つまり……テレビやネットで世界中に光さんのパートナーとして紅梨さんが認められちゃうんですよ?
パートナーとして一緒に行っちゃえば光さんだってもう覚悟決めてくれますよ!
オスロのホテルでノーベル賞受賞して興奮してる光さんと、……キャーー!」
自分で言って照れていれば世話はないが紅梨も脳内世界にダイブしてしまったため、
女二人が廊下で真っ赤になるという怪しい構図になってしまった。
「わ、私が光君のパートナー……?」
紅梨の脳内に華麗にドレスを着こなしてお姉さんな恋人としてテレビに映る自分の姿が浮かんだ。
ついでに夜に瀟洒なレストランでワインなど飲み、いい雰囲気になった後なども想像してしまうのは、
恋する乙女の可愛げのある暴走だろう。
「私やるよ章子ちゃん! そこの気絶してる大臣さんにお願いして私をパートナーとして申し込んで貰う!」
例えば盗聴とか。
「パートナー……」
キィ、とオフィスチェアが軋む。
基本的にパートナーというのは妻、もしくは恋人ということになる。
しかしながら、そういった人間がいない場合(ノーベル賞クラスの天才なら多々ありうる事だが独身主義者や同性愛者など)、
親族が務める事がある事を蛍は知っていた。
ならば、妹である自分でも可能ではないか。
そして、近日の軍需省外交部門の動きを見るにノルウェー国会議員にコンタクトが多く取られている。
軍需相・三条公人が今日TERAに来ている点から、ひとつの結論を蛍は見出した。
「この人に頼めば光さんのパートナー代理で……」
例えばコネクションとか。
「そういえばもうご存知ですかしら、TERAのマスタークライマーがノーベル平和賞を受賞するという事ですけれど」
「あの新設された軍需相の三条先生の手引きだそうですわね」
「そういえば聖園様のご令嬢はその恋人とか、羨ましいですわ」
急激に話を振られた沙輝は驚いてWメイドの方を振り返った。それでも普通に振り向いた程度のスピードに過ぎなかったが。
Wメイドもぶんぶんと首を振る。
「初耳でしたわー」
財界のパーティーに珍しく顔を出して世間話に花を咲かせていた沙輝はWメイドに指示を出して再び歓談に戻っていった。
本来、財界のこうした席は情報交換の意味を持つ。
この日に限って言えば、沙輝にとって十分すぎる収穫であった。
夢から覚めると、そこは女の園だった。
「あ、起きた」
その一言に始まり、陳情を一度にぶつけられた。
「先輩の相手は私がする」
「あ、あの、光君のパートナーに私を」
「光さんには恋人がいませんから妹の私が代わりに!」
「いいえ私という立派な恋人がいます!」
キィーンと耳鳴りを感じ、医務室のベッドから飛び起きた。
「あ、まだ横に」
なっていた方がいいですよ、と章子が言い終える前に他の女性陣の論争がはじまってしまった。
「職場の同僚が誰もそう思ってない恋人なんて仮面恋人もいいとこ」
「誰が仮面恋人ですかっ!」
「……………………!」
「……………………!」
「……………………!」
ええと。
何だこのデジャヴを感じざるを得ない状況は。
あのエレベーター式の高校で起こった修羅場のような状況に酷似しているのは気のせいではあるまい。
では何か、真田光もこの女の園で過去の自分と同じようにとっかえひっかえ遊んでいると言うのか。
否、それはありえない。
もしそうならば彼女の一人や二人と言われた時血涙流していた理由がなくなる。
では一体この状況はなんだ。
この4人は揃って暴走中の恋する乙女なのか。
それともノーベル賞受賞者のパートナーとして世界に中継され、それを材料に彼に責任をとらせようと打算で動いているのか?
にしては目が濁っていないし、第一聖園亜輝と上科蛍は光以上の資産があるから自分の一生を使っての財産狙いなどありえない。
名誉目当てならともかく――――否、名誉の場合でも上科蛍は該当しない。
彼女の発明は現在こそ発表されていないが、全ての戦闘終結後に発表されればノーベル賞のほとんどを総ナメにできる。
と、なれば彼女達は皆本気か。
ではどうしたものか。
しかし、彼はそう迷う必要はなかった。
「はいはい、何やってんのー」
パンパンと手を叩いてじゃれあう4人をどかし、明美が公人の前に現れた。
「ちょっと三条君借りるからね」
「司令」
まさか貴女も、という目で見られながら彼女は平然として公人を連れていった。
「やりすぎよ」
廊下の自販機前で二人になった途端明美の声のトーンが落ちた。
公人は寒気を感じつつも持ち前の弁舌で反論を試みた。
「真田さんの功績は平和賞を受賞するに十分値すると考えますがね、第一平和賞などは名誉賞でしかなく、
隣国の犯罪者だって貰ってますよ」
「……う……」
「はい?」
「違う! そんな事言ってんじゃない!」
そのプレッシャーと言ったら、常人であれば気絶しただろう。
ヤクザまがいの組織を潰してきた公人であったから土壇場で踏みとどまれたのだ。
「っ、では! どういう意味だと言うのですか」
彼自身は自覚が無かったが悪い意味での自尊心がもたげ言い返した。
失敗だった。
その日、彼は二度目の背中と壁の衝突を経験する羽目になった。
「……っは……」
息さえ途切れそうになる。
違う。 この女は何だ。
今まで相手をしたどんな危険な敵よりプレッシャーを感じ、怒りの中にも冷たさが混じるこの表情は何だ。
「もっと頭の切れる政治家(センセイ)だと思ってたわ軍需相サマ?」
襟首を離され、ズルリと公人は床に崩れ落ちた。
親に溺愛され、校友は上品な人間ばかりだった彼にしてみれば今日ほど暴力を受けた日は無い。
しかし怒り以上に湧いたのは恐怖だ。
逆らえない、その理由が感覚的にわかるというのは人間が置き捨てたはずの野性が作用しているのだろう。
「――――私は、何をすれば――――」
「おせっかいを取り消しなさい、人の恋路を邪魔するヤツは、の続きぐらい東大卒なら知ってるでしょ」
「恋路?」
誰のだ。
明美のか? それくらいしか思い浮かばない。
「失礼しました、それでは早急に貴女を真田さんの」
「……勘違いにも程があるわ、いいこと、三条公人。
真田光には好きな女がいてその相手にクライマーという正体を隠していつもギリギリで世界の平和を守ってんのよ!
仮にも天才だってんならそれくらいの情報掴んでおきなさい!!」
公人は血の混じった唾を吐くとふらつきながらも立ち上がった。
なんたること。
この世界は――――たかが女一人の為に守られていたというのか。
「不快そうね?」
「別に」
互いの言葉に棘が篭る。
「どこの馬の骨とも知れない女なんか一票分の価値しかない、ってトコかしら?
だとしたら政治屋はそれ以下ね、寄生虫にしか過ぎないんだから」
「余程、権力者がお嫌いな様で」
「ええ、大嫌いよ。 反吐がでるくらい」
「私が死んだ後好きなだけ吐いて下さい。
しかし、私以上に予算が回せる人間もそういないという事はご理解願えたと自負してますがね」
ここまで来ると気力で明美と対峙している公人は目を背けずに言い放った。
が、これまで互いを利用しあうビジネスライクな関係であったといえど彼は圧倒的に不利であった。
まず絶対的な力が違う。
この場合の力(パワー)は権力でも勢力でも暴力でもいい。
その気になれば明美は公人を殺せるだろう。
それでいて、まず彼女は捕まる事等無い。
次いで、若干劣ろうとも替わりがいるというのも危険この上ない。
しかし交渉というのは互いの立場・要求・権力がぶつかりあって火花を散らしつつ妥協点を求める鉄火場である。
自分の分が悪かろうが、賭けねばならない時がある事位公人は知悉していた。
それに、完全不利という訳でもない。
まず、確かに替わりはいるにしても、
三条公人のように裕福でかつ公僕(パブリック・サーヴァント)としての自覚を持っているとは限らない。
この軍需というしばらく日本に存在しなかった機構の頂点で得られる膨大な汚職の機会に
その人間は耐えられるなどと、誰が保障してくれるのか。
次いで官僚の統御も問題である。
政治家が新機軸を打ち出すと官僚は反発するのが常である。
官僚を抑えられるのは官僚出身の政治家と、ごく少数の例外のみで、それが官僚出身の政治家が頻出した所以だ。
公人のように官僚出身で両親がともに熟練官僚などという都合のいい人間は彼自身以外まずいない。
以上が彼のカードである。
明美はその点に留意せねば今後さらに上層部との軋轢に悩まされよう。
帯電したような空気がしばらくエア・ダクトを通して流れた後、明美が溜息をついた。
「……ま、貴方は大分マシな部類ってわかってるからいいけど、ちゃんと弁えてよね」
外交用のスマイルを取り出し公人は肯いた。
カツカツとヒールの音を響かせて明美が遠ざかる。
完全に見えなくなると、その日三度目、彼は壁に全体重をかけた。
壁伝いにフラフラとおぼつかない足取りでベンチまで辿り着くと、そのまま倒れこんだ。
グニャリと天井が歪む。
まるで変化に富みすぎた彼の一日のように流動的に形を変えては視覚を刺激する。
耐えかねて、彼は目を瞑った。
「なんて日だ……全く、何て日だろう」
だが、彼の人生最多難な一日はまだ8時間程残っていた。
「大丈夫ですか、三条さん」
「ええ、榊月司令と話し込んでいた所急に立ちくらみを起こしてしまいまして。
司令にご無礼をお詫びしたいのですが……」
明美はどこまでも予想していたのか、公人が倒れこんで程なくして章子が様子を見に来た。
肩を借りて医務室まで歩いていると、不意に彼女は表情を暗くした。
「……三条さんは、いつも一生懸命過ぎます……」
「そのような事はありませんよ、私は貴女方と違い命を懸けて戦場に立っている訳ではありません」
先ほどの明美とのそれこそ命懸けの交渉などおくびにも出さず公人は笑った。
「嘘。 お会いする度に偉くなる人が手を抜いてる訳ないじゃないですか」
そうなると次は首相になってるでしょうか、と公人が皮肉に笑うと
「三条さん、もう無理しないでください……ここの人達、
……クライマーや司令は貴方の努力に報いているとは思えません。
予算の無駄っていうなら司令が遊びみたいな施設作ってる方がよっぽど無駄です!
クライマーは戦いの時はともかく普段は擬似恋愛ではしゃいでるだけ!
もう、真田さんに興味のない人間にしてみればどれだけ馬鹿らしいか……っ……」
突然すぎる章子の嗚咽が響いた。
公人は慣れた手つきで章子の肩を引き寄せると、ふらつく体を壁で支えつつ彼女を抱きしめた。
よくよく壁に縁がある日だ、と全く関連のない事を考えながら一言呟いた。
「無理には、慣れています」
そして、女の扱いにも。
「おかえりー、公(こう)ちゃん」
医務室で手当て・休息してから司令室に入ると、そこにはご丁寧に針の莚がしかれていました。
「もう、笑っちゃったわよ。 貴方もコウなのね」
「何の冗談デスカ」
言うが早いか公人は後ろの章子の腕の中に倒れこんだ。
瞬間、部屋の空気が凍ったように章子には感じられた。
「ねーぇ公ちゃんこの娘だーれ?」
妻の声のトーンがかわったのが疲れていても鋭敏な彼の防衛本能によって捉えられるが早いか公人は飛び上がって離れた。
ここでの案内役兼警護役である事を早急に説明すると三条瑛子はわざとらしく部屋の外を見た。
「お養母さまとのお茶会は来週だったかなぁ」
若い―――若すぎる程に―――妻が唇に人差し指を当てて考え込む素振りは可愛いが、
それが演技であるとわかりきっている公人には死刑宣告する裁判官の槌と変わりがない。
傍らの明美は心底楽しそうに腹を抱えて笑っており、彼女と比べると仕草が親父臭い。
「司令、こちらは……」
微かに怒気を含んだ声で章子が尋ねると嬉々として明美は応えた。
「あぁ、こちら三条瑛子さん。
公人君の奥さんよー。 まさか現役女子高生の奥さん持ちで婿養子だったなんて意外だったわ」
一方の公人は先程までのギャグキャラめいた呆然とした表情を建て直し、無表情に明美を見つめた。
その視線に気付いたのか明美は成功した手品師よろしく誇らしげに種あかしをしてみせた。
「あぁ、どうやって呼んだかなんて簡単よ。
亜輝の事を調べたならわかるでしょ、蛇の道は蛇って奴かしら」
それだけで公人には理解ができた。
光への平和賞の話が漏れてそうした連中の噂に上ったか。
「さて、取引しましょ、三条大臣閣下?」
影響力といい、駆け引きといい、三条公人は人生初の完敗を喫したようだった。
「びっくりしたよー、家で宿題やってたらいきなり電話でTERAにご招待、とか言われるんだもん」
「それで吃驚するだけで済む君の神経が羨ましい。
普通は嬉々として一人で自家用自動運転ヘリで乗りつけたりしないものだ」
帰りのヘリにおける夫婦の会話は政治家と日本国のセカンド・レディーのそれではなく、
家庭教師と生徒といった構図であった。
事実、数年前まではその通りであったのに、生徒の熱烈な求愛によってエリート東大生は名門・三条家の婿養子になったのである。
「公ちゃん?」
「うん?」
「面白かったよ、榊月明美」
何が面白いものか、と渋面を公人が浮かべると瑛子は上品に笑った。
「―――私の『表』のバカ面に引きずられなかったの、あの女で5人目かしら」
ハン、と夫は鼻で笑った。
あの若さで特殊部隊の長を務める人間が、如何な貴族のお家芸とはいえ
女子高生の人物鑑定などに引っかかるものか。
「4人目の公ちゃんまでは味方や手駒にできたけど、アイツは無理そうね―――私以上に力があるなんて分不相応よ」
「まぁ待ってるんだね、
真田光を頂点に据えた立憲君主制の下で、君は世界に君臨する大日本帝国内閣総理大臣の妻となるんだ。
榊月明美など物の数ではない」
言いながら、誰より自身の言葉が信用できないのは公人本人だ。
明美の『力』の処分は彼の計画を左右する大きなファクターだろう。
「アイツはその国でどういう立場になるのよ。 公ちゃん詰めが甘いー」
投げつけられるように渡された紙片には不規則な英数字の羅列が記されていた。
「?」
「国連の機密事項らしいけど、今の公ちゃんなら見れると思うから」
お父様からの友達から贈り物ー、とウインクする妻を見て
三条公人の最多難な一日は
女は怖い、などという単純月並みな感想ではなく、
「しっかしまぁ……数学者に恋人寝取られたから数学賞を設けなかった狭量学者の遺産分配の一部門如きの為に、
奔走、説得、脅迫、叱咤激励したってのに得られたのは人生最多難な一日とは何とも……」
博学さを交えた自嘲で終わった。
曇天の齎した漆黒の闇の下で、今は彼の所有(もの)である広大な三条邸が豪奢に輝いている。
結果として。
ノーベル平和賞はTERAという団体に贈られることとなった。
代表として授賞式に出席したのは司令官の榊月明美。
パートナーとしてエスコートを務めたのは三条公人。
これにより、公人は余計に明美の信任厚き政治家という印象を各国首脳に与えた。
公人本人としては妻の機嫌を直すのに数週間かかったがそんな事は公共の利益と比べるべくもないので沈黙した。
章子は明美の計らいで公人のSPに入ったがよく彼の自宅で瑛子と冷戦を繰り広げている。
なお、更衣室に引き篭もった真田光は入り口から他人が入れないよう内側で空間を切り裂いてしまった為、
隣室のトレーニングルームの壁をぶち破って引きずりだされた。
その為、男子更衣室は修理無期延期、真田光は女子更衣室を使用するよう司令に命令される。
自業自得といえばそれまでだが。
そして、国連本部。
「く――――はっ、はははっ、あっはっはっはっはっはっ…………」
遥かに強化された権限を以って入室した機密資料室。
パス・コードを入力して表示された資料を見つめ、公人は嘲った。
自分は、こんな相手を後ろ盾に見せかけ、協力し、挙句の果てにはエスコートしノーベル平和賞を与えたと言うのか。
馬鹿か。 道化か。
自嘲が続いたが、だが待てよ、と冷静すぎる理性が彼に語りかけた。
もし、知っていたとしてあの時。
閣僚就任を断ったか?
官僚を勤め上げた後は政治家になるつもりだったが、その場合老人になっており、大臣になれたかどうかも怪しい。
恐らく、知っていたところで計算ずくで閣僚になったに違いない。
ファウストは可能性を提示されて魂を売った。
ならば。
「――――彼女は僕のメフィストだった」
と、いったところか。
――――果たして、三条公人は魂を取られずに済むのだろうか。
彼の顔に苦笑が浮かんで、悪寒と共に消えた。
●
静寂をそのまま形にした世界。光も差さない黒一色の部屋は、またある意味で悠久を約束しているようだった。
その闇に、一瞬だけ変化が起こる。空気が陽炎のように揺れ、そこに、人の形をした影が現れた。
闇に表れた影……灯子は、肩を震わせ……
「あはは……はは、あははははははははははははは………………!!」
灯子の子供のような笑い声が耳を撞き、アキラはゆっくりと瞼を開いた。
「……何の騒ぎだ」
「生きてきて一番か二番ね、こんなに笑ったのは。随分とユーモアセンスのある奴がいるじゃない、日本にも。あはははは!!」
「……少し大人しく喋れ。頭に響く」
「今年のノーベル平和賞。TERAが……明美が受賞したそうよ。どこぞの坊やが後押ししたみたいだけど」
「明美が……」
「来年から廃止ね、あの賞。アレが受賞できるなら、ヒトどころか虫ケラだってもらえるわ」
灯子はスーツの胸元を握り締めた。
「代表として明美が受賞式に出ただけで、TERAという機関への授与なのだろう。真田光たちの功績を考えれば、他に受賞者がいる方が不思議なくらいだ」
アキラの、あくまで穏やかな声に、灯子は口許を吊り上げる。
「ふ、ふふ……そんな事はどうでもいいのよ……。アイツが、どの面を下げてあの場に立ったのか……」
受賞後の明美は、どこまでも完璧な作り笑顔でフラッシュを浴びていた。不敵さすら感じる、少女の外見をした最高司令官の笑みに、どれだけ見惚れたものがいただろう。
「全身が煮え返るくらい感じちゃうわ…………最高よ」
誰に見えるはずもないが、その真白いブラウスには、真っ赤な血が滲んでいた。
胸の傷を抉るように、手にギリギリと力がこもる。
「ま――――――どの道、来年の授賞式は、ないわ。史上で最後の平和賞受賞者があなたなんて……皮肉ね。明美…………」
●
終わり
注釈
ノルウェーに圧力
ノーベル平和賞の選考はノルウェー国会が行う
100グロス
1グロスは1ダースが1ダース、すなわち144。100グロスだと14400。
数学者に恋人寝取られたから数学賞を設けなかった狭量学者の遺産分配の一部門如きの為に
ノーベル賞に数学賞が存在しないのはノーベルが
数学者ミッタグ・レフラーに恋人を取られた腹いせという説がある。
ちなみにこの話にはオチがついていて、
この話を聞いたフィールズが数学賞の代替としてフィールズ賞を創設したという。
公人の周辺事情
大学までエレベーターである名門校に通っていたが、
中学〜高校において女性問題を多々引き起こしそれを纏めて清算すべく東大に進学。
両親と同期の宮内庁官僚から紹介された旧華族家での家庭教師アルバイトで
現在の妻である瑛子と知り合う。というか一方的に好意を寄せられる。
尚、当時公人21歳、瑛子10歳。貴族幼女ストーカーという稀有なものに捕まる。
財務省に就職するが早いかなるべく距離を置こうとするも、
運転手付リムジンで強制送迎されたり、重箱入りの料亭弁当が届いたりと
既成事実を積みかねられた挙句瑛子が16歳になるが早いか結婚する羽目になる。
かくして岡野公人は三条公人となった訳だが、
現役女子高生を妻に持つ官僚という嫌な意味でも有名だった。
現在、「現役女子高生を妻に持つ大臣」にクラスチェンジ(公人29歳、瑛子18歳)。
羨むか同情するかは人によると思われる。
ちなみに本人はそれなりに幸せを見出してはいる。
ファウスト
ゲーテの長編戯曲。
主人公ファウスト博士は悪魔メフィスト=フェレスから魂を対価にこの世での快楽を約束される。
最終的には取られずに済むが。