存在と権力を誇示するように屹立する高層マンション。
外敵排除に一切の慈悲無き武装を備えているものの、傍から見た限りでは、特筆する珍しさはない高級マンションだ。
これがまさか数十階建てにも及ぶ個人の住宅だとは、誰が思おう。
外門の奥に広がる、冗談のような純和風庭園を抜けると、また一転してセキュリティの塊であるエントランスがある。
聖園亜輝は、心なしかやつれながら「実家」の敷居をまたいだ。
昨夜は大変だった。
光の部屋で、夜中に蛍が泣き出したのが始まりだった。
怖い夢を見たという。
正確には夢ではなかった。
クローゼットがゆっくり開き、鋭い目がギラリと光ったかと思うと、中から顔が隠れるほどの長髪を垂らした白装束の女が這い出て、自分達が寝ているベッドに四つん這いで迫ってきたというのだ。
素敵にリアルホラーである。
言うまでもなく犯人は閃華だ。少し考えれば分かりそうなことだが、暗闇でこんな光景を直視していきなりそうそう冷静に考えられるわけはない。
蛍の叫びで光や眩歌も目を覚まし、「そこにお化けが!」と指を指され、まさか自分のことだと思わない閃華が後ろを睨みファイティングポーズを取る、眩歌も慌てて外に出て誰か聞こえる人間に向け「幽霊が出ました!!」と叫ぶなど、ツッコミ所満載のしっちゃかめっちゃかな状況だったらしい。
人が集まりだしてたまたま起きていた亜輝も駆けつけたが、幽霊と言われれば最初は眩歌のことではないのかと思うのも無理はない。
いい加減クローゼットの中に入るのはやめなさい、と注意するひなた。
そうよ、ベッドの中に入りなさい、とほざく明美。
対抗意識を燃やして監視するためにここで寝る、と紅梨。
あと……まあ、いろいろいた。
デパート初売りの店員よろしく群がってくる女性陣を次々に整理していったが、力で来る相手にはどうしようもない。
これで玲衣が来ていたらもう収拾が付かなかっただろう。
暴れないと約束してはいるものの、いつまでもつものか。
一層大きな溜息をつく。
最近はもう。
最近はもう。
本当ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーに、疲れる。
本当に……疲れた。
以前よりさらに、行動的な女性が増えてきたせいだ。
特に、蛍や閃華といった行動派を抑えるのがとにかく難しい。
蛍はたまに怪しげな機械で武装しているし、閃華に腕づくで敵うはずがない。
これで玲衣のように怪獣じみた怪力と迫力があれば例え相手がクライマーであれ一歩も退かないのだが、自分は残念ながら体力面は完全に普通の女子高生だ。
「そもそも、TERAでの私の位置が微妙なんですよね……」
玲衣のように非戦闘員(戦闘に関わらないという意味で)ではない、司令室に入る事を許可された等級である自分は戦闘配置にもかなりの頻度で常駐している。
……しかし、だから何をしているかと言えば、これがはっきり言って全く役に立っていない。
オペレーターとしての資質はない。
蛍はにユニット面を主にしたアドバイザーとして重要だが、自分は戦闘でアドバイスなどできるはずがない。
何か手伝いたくてそわそわうろうろする、やる気だけがから回る生真面目なバイトのようだった。
すれ違うメイド達に「お帰りなさいませ」と挨拶されながら、亜輝は、エレベーターに乗り込んだ。
ああ、自分ってそこそこお嬢様だったんだな、と再確認する。
あそこで過ごしていると、そんな出自は忘却の彼方に消え去ってしまう。
安パイだと思われている自分。
脅威だと思われていない自分。
今なら、他の女の子の目の前で、光に全裸を見せたとしても欠伸をされて茶を飲まれるかもしれない。
「私って……」
ふと今の自分を見つめ直し、どっと疲れた。
いつからこうなってしまったのだろう。
恋人のはずなのに。
いつまでこんな……損な役回りでいればいいのだろう。
いっそ皆と同じように馬鹿をやれれば、どんなにいいことか……。
微動もしない空間で虚ろに思う。
「あ……」
エレベーターの壁をふと見ると、相合い傘が描いてある。
子供の拙い字で書かれた、「あき」「こう」の文字。一生懸命さと純真さが伝わる。
亜輝は思わず微笑み、愛おしげにその字を指でそっと撫でた。
「……懐かしい、ですね……」
目を閉じればいつもそこにある、色褪せない思い出……。
「――――――って、何の嫌がらせですかーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
茶室の襖を力一杯開ける。
気分的には、襖を蹴破ってそれが向かいの壁に突き刺さるほどの怒りだが、さすがにそこまでの脚力はない。
「二人の仕業ですね!! ……わざわざ子供の目線の高さで書いて、まあ手の込んだ嫌がらせを!!」
「おや、お気に召さなかったか」
「さも子供が書いたような字感を出すのを、苦労しましたのに」
主人に悪戯を糾弾されているというのにちっとも慌てる素振りを見せない、聖園家専属メイド・鏡子と硝子。
犯人はもちろんこの二人のようだった。可能性があるとすれば、あとは沙輝くらいだろう。
他のメイドは、畏れ多くてこんな真似は出来ない。よくも悪くも、家族同然だからこその行動だった。
「私と光さんは幼馴染みじゃありませんし!」
「分かりきってやっているのに、何て凡ツッコミだ。油性ペンで書かれたエレベーターが浮かばれない」
「最初から書かなければいいでしょうが!!」
どっかと腰を下ろす。お嬢様らしからぬ行動だが、今さらだった。
「そうおっしゃらずに亜輝様、私達なりの不器用な激励ですわ。アドバンテージのない亜輝様は苦労されているだろうと思いまして、そうだったらよかったのに、と」
「自分で不器用って形容するとものすごい胡散臭くなりますから、覚えておいてください。……確かに私は、クライマーじゃないですし、何となーーーーーーく他の女の子と距離がある気がしますが、アドバンテージがないわけじゃありません。私は、光さんの恋人なんですから!!」
「うぶぶぶぶぶっ!! ……おい鏡子、笑うな、仮にも主に対して失礼だろう」
「心配しないで、笑いという感情のある次元を突破したわ」
「この人達窓から突き落としたい……!!」
どのみち最上階から突き落としても着地するだろう。
「でも、あの位置にある書き物をすぐに見つけられたのですし、無意識にそういう願望があるとは考えられませんか?」
「歪んだ思念だけがドロドロまとわりつくような、妙な残留思考波を感じて見たらそこにあったんですよ!」
怨念とまでは行かないが、メイド二人の邪念が確実に込められていたのだろう。
「ところで亜輝様、最近ちっとも真田様を連れてきてくれないじゃないか」
「ええ、真田様とここに来てから、亜輝様もよくご帰宅されてくださるようになったというのに、肝心の真田様が来てくださらないのは寂しいですわ」
「何で私より光さんの方が肝心になってるんですかっ!!」
ツッコミも疲れてきたので、お茶を淹れてもらう。
ここですぐに切り替えてくれるのが、できるメイドの証明と言える。
「だいたい、鏡子さんも硝子さんも、たまにTERA基地に来てるみたいじゃないですか。光さんに会うならその時でも出来るでしょう」
「もちろん、会っている。天野様を洗の……もとい、指導するついでではあるが。やはり、あれだけ真田様を想われている女性が大勢いる場所では、いくら私達と言えど気後れしてしまうさ」
「私がいるここではいいって言うんですか……!」
いちいち本気にしていてはキリがないが、こうも会話におけるからかい頻度が高いと、まともに返したくなくなってくる。
「指導といえば、梓堂様にも会いたいですわね」
強引な連想だった。
「どっちかというと、そちらに興味を持ってくれた方が、私は助かります」
ぷう、と頬を膨らませてむくれる亜輝を、ここぞとばかりに攻める硝子。
「ほう、球野様も友人だというのに、自分で真田様を独占したいがためにスケープゴートとして梓堂様を売るわけか」
「えっ!」
「素敵です亜輝様、その雑魚キャ……もとい悪女ぶり、自分本位な言動、己が欲望のために容易く友情を投げ捨てる器量の狭さ、この鏡子、感服いたしましたわ」
「ち、違います、っていうか、どさくさに言いたい放題言わないでください! いくら私でも怒りますよ!!」
「可愛いなあ……亜輝様が男だったら、仕える身であっても容赦なく押し倒すというのに……」
亜輝に抱きついて頬擦りする硝子だったが、鏡子は珍しくそれに乗ってこなかった。
「……鏡子」
「……あ、ああ、そうですわね、まあ、女の子でも構いませんけど」
ややぎこちなく、鏡子も亜輝に擦り寄った。
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいやめてくださいいいいいいいいいいいいいいいい!!!」
亜輝ははっと我に返り、
「思わず悪人扱いされそうになりましたけど、別に悪いこと言ってないじゃないですか! 自分の好きな人が毒牙にかかろうとするのを守ろうとしているだけで、友達を売ったりなんてしていません!!」
「ものは言いようだが……それだけの決意があって、何故進展されないのだ、未だに」
「何だかんだ言ってもう3ヶ月以上ですか? 正直、小学生でも明確な意志で恋人関係を築けば、キスすらしないというのはいかがなものかと思うが」
厳然とした事実を突きつけられ、がっくりと肩を落とす。
毎回ではないが、こうして実家に帰ってくるとかなりの確立でその事実を思い知らされるため、亜輝としても足が重くなる。
「クライマー……紅梨さん達は大きな戦いの度に絆を深めていっているようですし、そう、さっきの幼馴染みの話ですけど、光さんの幼馴染みの女の子が、幽霊になって再会しまして」
「ああ、聞いているよ、アイドルの北深眩歌さんだったか」
「いろいろ苦労されたようですので何も言えないんですが、そのまま光さんの部屋に住み着いちゃっているんですよ……幽霊だから滅多なことはないと思いますけど、触れられるみたいだし、もしかしたら……」
「幽霊って肉体関係を持てるのかしら、硝子」
「肉体が滅んでいるのにか? はは、小気味いい言葉遊びだな」
「よくありません!!」
「けれど、幽霊にまで危機感を抱くとは、いよいよ追い詰められてきたな。あれから真田様とは、何も進展がないのだろう?」
「うう……」
あれから、とは、遊園地の時の事だろうか。
その後皆と海に行ったりはしたが、二人でデートしたのはあれきりだ。
ほんの数ヶ月前の事なのに、何か、遠い昔のことのように感じる。
「なさ〜け〜ない〜」
「お母様!?」
いつの間にか後ろに母・沙輝が座り、茶を飲んでいた。
「今日こそ〜身籠もったようですと報告に来たかと思えば〜負け犬が遠吠えに戻っただけとは〜。それでも聖園の娘ですか、ああ情けない〜」
「失礼な!!」
スローペースでけなされるのでなおさら腹立たしい。
「老い先短い母に〜、孫も見せずに死ねとは〜、何て親不孝な娘なのかしら〜」
「付き合っても当分身籠もるつもりはありません!!」
つまり、まだ付き合っていないと自分で認めたに等しい。
墓穴を掘り、項垂れる亜輝。
「フ、子供はともかくとして、早く真田様と進展して欲しいとは常に願っているぞ。だが、願っているだけでは駄目なのだと気付き始めたよ」
「亜輝様がそのように奥手に育たれたのも、私達にも責任の一端はあります。この上は、我が身を犠牲にしてでも、亜輝様に幸せになっていただく覚悟」
「まあ〜、二人とも〜、そんなに自分を責めないで〜。一番の原因は〜、この母なのだから〜」
わざとらしく神妙な顔つきになる三人。
「……というわけで、私達が先陣を切って真田様を頂くとしよう」
「いつも通りじゃないですかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
「失礼な! いつもとは気迫が違う。もはや、何が何でも押し倒す決意だ!!」
「余計タチが悪いです!!」
沙輝が指をパチンと鳴らすと、私設軍の一人が奥部屋からホワイトボードを運んできた。
スキンヘッドで筋骨隆々、身体中に傷があるいかつい男だが、来月奥さんに子供が生まれるらしい。
先日その事を聞いたとき、彼は疲れも見せぬ、働く男の顔だった。
……こんな茶番に毎度付き合わせるのが不憫でならない。
当然だが、他の隊員達にも、家族や大切な人がいるのだな……。
「ここはしっかりと作戦を立てようじゃないか。亜輝様」
「駄目ですよ、光さんに手を出したら!!」
「堅いことを言うな亜輝様、いずれは家族になるんだ、みんなの共有財産じゃないか。洋服を交換する感覚で、真田様をまわしっこしよう」
「もう硝子、それじゃ少し表現が直よ」
「鏡子が深読みしすぎなんだ」
あっはっは、と笑う二人。
「楽しみだわ〜。ああ、いけない義母〜」
サミングでも口ずさむように恐ろしい単語を口走る沙輝。
「……この人達って……!!」
やばい。
この三人を放っておいたら、本当に光が大変なことになってしまう。
何とかこの三人を論破し、諦めさせなくては。
それに、どうせ自分をからかって遊んでいるだけなのだ。自分が進展すれば、光に手を出すこともないだろう。
「しかし技術は皆無だろうが、今までの戦いを見ても真田様の体力は底知れんぞ。自分の限界を知ることができる。腕が鳴るな」
「いざとなったら、私と硝子と沙輝様、三人がかりで頑張りましょう」
……手を出すこともないだろう。
三人がかりて。
自分が入ってないじゃないですか、というツッコミが喉を抜け、音となって大気に拡散する寸前踏みとどまる。
――――――染まってきている――――――。
◇ACTXXXに続く◇
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